カテゴリー: 2019年

  • 志と知識【12月】

    ある国のある町で、資源ごみ回収のごみ箱が新装された。500個も。その費用は3億円、つまり一個、60万円※(注)もするらしい。ちょっと考えれば、『こんなとこに金をかけるなよ』と言いたくなる。しかしこの取り組みで従来より、年間1億5700万円の費用消減に貢献したと言う。

    『えぇーどうして?』

    このごみ箱には、センサーがあり、太陽光パネルで発電し無線通信ができるようだ。

    つまり、一杯になったごみ箱だけを回収する運用が、できるようになり、週7回以上も回収車を走らせていたものが週2回に削減できたそうだ。

    単なるごみ箱から、一杯になったらセンサーが「一杯だよ!」と中央指令室知らせる「ウェブゴミ箱」になったからコスト削減を実現できたのである。

    その削減額は1億5700万円となり、2年もすれば投資も回収し、10年も稼動できれば13億円以上のお釣りでてくるのである。これはアメリカ、フィラデルフィア市の成功例である。これにウェブカメラを設置すれば不法投棄も取り締まれるし、地域防犯にも役立つ。

    なんか結構づくめでないか。資源ごみを集める前にお金が浮いてくるなんて...

    これがIoT(Internet of Things)なんです。

    とすれば、マンホールの蓋にセンサーアンテナをつけるだけで、豪雨時に都市浸水を未然に防ぐことも可能になるだろう。

    日本でもいろいろな取り組みがある。農業の世界でIoT導入が増えてきて、新しいソリューションを提供し始めている。

    例えば、田んぼの水位と水温のチェックは毎日の重要な仕事である。

    また、田んぼや畑の栽培作業スケジュールも順序よくやっていく為のスケジュール管理は、外国人の人も増えてきているので必要に迫られている。これらのためにGPS機能やフィールドサーバーが出てきているし、害虫に対してLAMP法(遺伝子検査法)などの提供も出てきている。

    5Gの世界に入った今、これらの先端の機器・技術・知識を持って望まなければ危うい時代に入ってきている。

    こうした取り組みのある中において、昔ながらのお茶づくりもある。東頭(とうべっとう)という茶園である。昔ながらの方法で標高800mの斜面でお茶づくりをして、100g一万円のお茶を作り、それが飛ぶように売れている現実もある。

    だから本当に必要なのは、5GやIoTと言うより情報感度であり、自分のやっていることの一層の完成をめざす志であろうと思う。

    ※太陽光パネルやセンサーそして発信装置がついたものが60万円になる訳ではない。中央コンピューターで情報集積や最適ロジを決める等の総合システム投資を、ゴミ箱の数で割ったのが60万円になったということである。

     

    理事長 井上健雄

  • サードプレイスを考える【11月】

    ある就活中の学生が、産休育休制度や福利厚生制度を重要視して会社選びをしている。

    30才までに結婚して子どもを産みたいなら、それでいいでしょう。しかし、いま恋人もいないし婚約者もいないとしたら、結婚しないかもしれないし、結婚しても子どもをつくらないこともあるだろう。とすれば、こうした制度の充実した会社より、バリバリ働けて所得が高い会社の方が、良いのかもしれません。自分も会社も社会もいろんな変数のぶつかり合いの中で様々な変化や進化をしています。こうした時、人は時々にどう考え、どう行動したらいいのでしょう。

    その上、かつては「一生ものだった雇用契約」が、近年では「追って指示があるまで」という短期契約等の「束の間の契約」になってきている。

    これは過剰流動性と言われる現象で、社会を不安定にし、様々な社会問題を起こし始めています。適度の流動性は人々に自由感を与えるが、この状態はそうではない。先の学生が、意思決定するには自分の望みと社会の変化の中で、どういう変数を組み合わせて方程式をつくりあげていくかの問題です。一筋縄ではいかないのが現代です。

    就活の学生に較べ、無事に会社を務め終えた高齢者は幸せです。「つまり追って指示があるまで」が定年まで続いたからです。しかしこうした人も収入が、殆ど入らない時期がやってきます。定年です。

    厄介なことに人生100年、あと30年生きるための必要な貯金や不動産など資産を持っていればOKですが、そうでないのなら、なかなか困難な状況に陥ることになるかもしれません。

    こうした状況を『リキッド・モダニティ』の著者ジークムント・バウマンは、現代社会を定数項のない方程式のようだと言っています。例えばX×Y=Z という簡単な方程式でさえ、どれか二つの値を定めないと解は出ません。

    にもかかわらず、この「X、Y、Zの全てが定まっていないのが現代社会」だと言っているのです。

    現代は、若者であれ、高齢者であれ、こうした過剰流動性の中で生き抜いていかねばなりません。その為に家庭や職場というファーストプレイスやセカンドプレイスとは別にサードプレイスを築きあげることをお奨めします。

    サードプレイスとは、一つの集団や生活基盤に頼らずにコミュニティにおいて自宅や職場とは別に、リスクを分散して生きて行ける第三の居場所のことです。このサードプレイスをつくるかそれらに参加することにより、過剰流動性に対処することになります。これからの過剰流動性時代における合理的な意思決定の一つになるのかなと思います。

    そのサードプレイスへの参加条件は、自発的な協働ができる自分のできることが貢献となる関係性を築く、そして何よりも相手、仲間をリスペクトできることで成立します。

    今、社会を支えている多くの条件や社会の価値観が、大きく変化しています。こうした時、あまり「決め込まないで」で「いまを選んでいる」人にならなくてはなりません。

    例えば、インフルエンサーやユーチューバーになるという「一人イノベーションの実践者」になるとか、いま、自分の興味あることを、学び続けそのパフォーマンスを伝えることで仕事を創出するとかです。

    日暮れて道遠しかも知れませんが、遅くはありません。サードプレイスづくり今から始めてください。サードプレイスは、単なる場所や人々の繋がりだけではありません。自己陶治と協働の精神で物事に取り組む人に自然と形成されてくるものです。

    まず隗より始めよ!

    理事長 井上健雄

  • インバウンド観光のかんどころ【10月】

     

    観光先進国のベルギーでは、インバウンド客の増加策(マーケティング)に金を使うより、きてくれた人にどう満足して帰って貰うかの、観光マネジメントに重点を置き始めている。

     

    今、日本の社会を見渡してみると、殆どが販売促進に力を入れている「売上」中心主義である。

    そのため車のアクセスを良くしたり、バカ派手な看板、安さや利便性ばかりを追求している。

    結果、街の景色や良さが、どんどん崩れていっている。今、立ち止まってやるべきことは、その地の文化や歴史を守りそれをしっかり伝えていく、伝統食を味わって貰う、語り部が、生の情報を発信する等...が必要なんです。

    つまり販促に力を入れる事と観光マネジメントは、同じようで同じではないんです。

    例えば大学受験について考えよう。大学合格は、高校までに学んだことをしっかり記憶して簡単なことから答えていく時間マネジメントが大事なんです。

    このルールに最適化した人が合格して大学生になるのです。しかし、これでは大学生を最初から未来社会の一人として負け戦さに参加させるようなものとなる。高校と大学では、明らかにルールが異なり、大学は、新しい企画を創ったり、他者と協働して、みなで新しいものを産みだしていくことが、求められている。大学は、先生に教えてもらう場ではなく、自立して自主的に学ぶものなんです。

    習ったものを答えとして出して成功した時代から、習ってない答えのないものに挑戦していくこれからの時代は、学生にとって使う頭や武器が異なるんです。

    旧来の学んだことに答えて成功した人に、異なるゲームをやれと言うんですから、これって凄い皮肉ですよね!上手くいきません。自分の頭で考えて答えを、想像し創造する時代になっています。

    つまり適確な質問(or疑問)疑問を発する能力により、答えの輪郭を形成としてゆく時代なんです。インバウンド観光について学ぶのなら下の一~四までの大局を学び、その上で小局に着手することが、ポイントとなります。

    一、国や地方自治体の観光政策を知った上で地域創生に取り組む

    二、観光産業における主要事業分野の中身を知る(学際活動やインターネット等による)

    三、観光経営論としてブランティング戦略やIT戦略を知る

    四、企業管理論として人材管理やリーダーシップ、リスクマネジメントを学ぶ

    こうした観光マネジメントの大局を押さえたうえで、小局に着手すべきなんです。

    日本は、販売促進的なことばかりに力を入れて地方創生と言う名のもとに、今までなかった農産物を売り出したり、道の駅を大型化したりの的外ればかりをしています。

    しかし本当に大事なことは、商品化されない部分をどれだけ持っているか、どれだけ発掘しているかがその地域の価値なんです。

    「Anywhere」どこにでもあるものでなく、「Somewhere」として、そこにしかないものを見出し、保存し、伝えていく事に、観光マネジメントの本質があるのです。

    例えば、京都なら祇園祭(八坂神社)、大阪なら天神祭(大阪天満宮)、東京なら神田祭(神田明神)などは、観光マネジメントとして一つの完成形となっています。

    しかし、私たちが取り組むべきことは、ここまで大きなものでなくても、地域の人々を知っていて、楽しみとして参加する祭り、これをソーシャル・キャピタルとする努力が必要なんです。長野県飯田市において「いいだ人形劇フェスタ」という世界中の人形劇アーティストが参加する、また地域の高校生が人形劇を演じたりして裾野を広げています。だから40年の歴史ですが、ちゃんと育ってきています。もっと新しい例ですが、金沢卯辰山工芸工房というものもあります。加賀百万石の誇る伝統工芸の継承と発展、地域の文化振興を目的とした施設です。このように歴史を掘り起こしをして、その価値を新たなソーシャルキャピタルとして醸成していくことこそが、インバウンド観光の優先事項だと思います。

    理事長 井上健雄

  • 選ばれる【9月】

    一頃、大学で流行っていた「〇〇大学(ミス)コンテスト」は、最近は全く様相を変えてる。
    昔なら美人だとかスタイルがいいとかで少数の審査員が、点数をつけていたものですが、今はAKBの総選挙のような投票制になっている。
    皆に投票してもらえることが、大事なんです。友達も多く、何かにチャレンジしているとかの売りを多く持っていることが、支持してもらう基準になります。
    例えば...
    ・歌が好きで老人施設に行って歌を歌ったり、踊ったりの慰問をしている
    ・恵まれない子どもたちを励まそうと給食ボランティアをしている
    ・引きこもり系の人が、トライアスロンをしていたいからと、クラウドファンティングをしてファンティングに成功したとか…
    今までにない自分を創るために「自己投資」の姿を見せることで、皆の共感を呼び投票に繋がるのです。
    こうしたコンテストに選ばれた人たちは、『私は、本当に何の特徴もない平凡な学生だったんですが、ノミネートされたことでいっそう努力をするようになり、人生を選び直せたんです。感謝しています。』と発言しています。皆さまもチャレンジして、新しい自分を獲得するのも面白いかも知れませんね。
    新しい自分って、きっと一層魅力的ですよ。
    ポイントは、「今」を精一杯生きていることを行動で示すこと、それが「価値」なんです。
    例えば「美人」だけで評価されているのであれば、年を取ればそれはお荷物になります。
    また会社で威張っていた人も退職してしまえば、単なるうるさいアホ爺さん。
    つまり年を取る人生の後半は、誰もが自分自身がリスクになるんです。
    ミラン・クンデラさんが「老人は、自分の老齢に無知な子どもである。この意味において人間の世界は未熟な惑星なのかもしれません。」と言っていたようです。少なくとも「選ぶ側」であった人たちが、「選ばれる立場」になった時、その自覚と選ばれる価値がいるんですよ。
    選ばれる価値とは、ポジティブ・シンキングと、周りの人々へのリスペクトを根底にもつ人なんです。これらが少ないとしたら、さあ自己投資の旅に出発しましょう。収穫は、グレイトですよ?

    理事長 井上健雄

  • 今こそ「赤の女王伝説」をもう一度【令和元年5月】

     ルイス・キャロルの小説「鏡の国のアリス」(1871年発表)に「赤の女王」仮説なるものがある。
     その中に、It takes all the running you can do, to keep in the same place.という言葉が語られている。
     (訳)出来る限りの全力で走り続けて、やっと同じ場所に居られるんですよ…
     この本を読んだ時、不思議な感じがした。
     走れば違う局面に至る筈なのにと…
     しかしよくよく考えてみれば当たり前のことだと分ります。
     グローバル化の進展により、企業の外側の世界が、どんどん早く激変をしているからです。
     例えば、平成の20年間位はほぼゼロ成長の時代であった。
     良い企業は、年々3~5%成長くらいはしている。
     業績の悪い企業は倒産したり、売上の半減や数十分の一に下げ、利益の方は赤字続き…
     結局、世の中の成績のいい企業は3%成長しても、悪いグループで-2~3%ダウンしている。
     ならしてしまえばゼロ成長となっている。
     同じところ(売り上げや利益)に立つだけでも、必至の頑張りがあって、維持できるという訳なんですよね。
     日本もかつて高度経済成長の時があり、毎年給料や業績が3割アップの時代もあった。
     猫も杓子も潤った時代もあったのです。
     これは人口がふえ続ける人口ボーナスの時代にあったのです。
     現在は総人口が減り続ける、人口オーナスの時代に入っている。
     人口オーナスの時代、平均寿命が上がれば、出生率が下がるのは人口問題のセオリーである。
     ここで日本と欧州の人口予測を世界銀行に国連データから村上芽氏(日本総研)のデータで見てみる。

    2017 2100 減少率
    日本

    欧州

    1.2億人

    7.4億人

    8,450万人

    6.5億人

    -33%

    -12%

     こうした時代は、同じ成績を保とうとしても今までの5~10倍の早さで走らねばならない。
     その早さに、乗れないのなら、新しいステージを創造することが求められている。
     この早さを方向を間違えず、走り切る体力、智力、徳力を磨かねばなりません。
     私達は、この体力、智力、徳力を協働するサステナウェブとのネットワーキングをテコに、赤の女王仮説を克服しようと考えます。
     さぁ ご一緒しませんか!

    理事長  井上 健雄

  • レジリエンス【4月】

     レジリエンスとは「しなやかな強さ」。
     「疾風に勁草を知る。」という言葉ありますよね。
     強い草とは、強烈な風が吹いた時に分るというような意味です。
     後漢書でしたかね……。
     強い風が吹いても前後左右に揺れるから風にうまく流して、大風のあとも凛然としている。
     そんな対処能力をレジリエンスというらしい。
     もともとは物理用語がさまざまなさまざまな分野で使われるようになってきたと思います。
     「生態系」「心理学」そして「教育」「防災」「温暖化対策」……などなどです。
     今、社会、企業、地域や個々人にとってレジリエンスは大課題となってきています。
     特に東日本大震災などを教訓として政府は、国土強靭化(ナショナル・レジリエンス)の取り組みを加速させている。
     しかし国の方向はどうもハード中心のようで、そのハードが壊れたらどうするかが弱いようです。
     「津波がくるぞ!」を耳にした時、学校の子どもは?家のおじいちゃんは?夫は?仕事の仲間は?……
     いろいろ心配事は山ほどあるでしょう。
     しかしまず「津波てんでんこ!」自分が避難すべきだと津波災害史研究家の山下文男氏が提唱されている。

    てんでばらばらに個々人は高台にむかって逃げろ

     これを最優先すべきだと。
     「津波てんでんこ」が社会、地域、個人の約束毎になっていれば

    1. 自分の命は自分が守る
    2. 自分が逃げれば他者も逃げてくれる
    3. 「てんでんこ」の約束を交していれば、約束していたしと自責感も低減してくれます……

     こんな「津波てんでんこ」、「命てんでんこ」のような言葉、考え方が被害をおさえることになります。
     国のハードプラス地域や個々人のソフト対応がレジリエンスの高い国、郷土、人をつくりあげていくものだと思います。

     オーストラリアの「レジリエンス教育」プログラムを見てみると、日本と同様いじめ問題への対処としてスタートしました。
     そこで本当に大事なことは、いじめられている子、いじめている子だけを対象とするだけでなく、ほかの子ども、クラス全体、先生、学校、地域など多くのシステムの参加者に働きかけて問題解決を計ることだったのです。

     このような考え方を持った上で、個人のレジリエンスは三つのCを充実させることです。
    一. コミットメント(commitment)
       どんな状況でも真正面に向き合う。逃げない
    一. コントロール(control)
       状況に影響を与える努力をし続ける
    一. チャレンジ(challenge)
       変化は当たり前のことと前向きに取り組む

     この三つに加えて問題をチャンスに変える二つのスキルというものがあります。
    一. 問題解決型の対処
    一. 支えの交流

    多くの人々と協働する為には、それぞれの人々との間にある対立や認識のズレを解消することが必要です。その上で仲間と高い目標に向かい助け合い、励ましあわねばなりません。そのためコミュニケーション能力を養成し適切に行動する技術を持つことが支えの交流の基礎となります。

    レジリエンスとは、社会全体で問題を受けとめ、その問題に関る成員のすべてが一緒になって問題に対処することで、持続可能性と幸せをつくりだすことだと思います。

    理事長  井上 健雄

  • 一刻者への道【3月】

     昨年も沢山の人々に出会いました。
     そして今年もいろんな人びとに遭遇するでしょうし、楽しみです。
     私が、出会った人々を分類するとすれば3パターンになると思います。
       一、出会えて良かった、一緒に仕事ができて良かった、という人 ―70%
       一、余り一緒の時間を過ごしたくない人            ―25%
       一、もう会いたくない人                   ― 5%

     一番ウェートの高い人々はこんな人たちでした。
     リスペクトできる人、何か心の底に熱い思いのある人、ポジティブ思考でいつも学び続けている人…出会いに感謝いっぱいです。
     人生を豊かにしてくれる人々です。
     宝塚歌劇のモットー「清く 正しく 美しく」のような人たちです。

     一方で25%程の人々は、余り人生の時間を共にしたくはありません。
     これらの人は、意思決定ができない人、周りの専門家の意見を聞けない人、また上の人の意見には何があっても従う人です。
     これらの特徴は、状況によりある程度許容できることもありますが、許せないのは次のような時です。
     それは何か事があった時、ささやかな勇気をも示せない人です。
     これでは、生きている意味があるようには思えません。

     最後の5%位の人は、会いたくない人です。
     この人たちは、何が起こっても自分は絶対に責めないで、他人を責める、他罰主義の人たちです。
     他罰主義で、人に謝ることを強制する人です。
     この多様性の時代に自説に凝り固まって毒を吐く人です。
     これらの人は最低です。
     私は侮蔑します。
     こういう人とは時間を共有したくありません。
     100人の人が居れば、5人位は、そんな人です。
     残念です。
     こういう人は、一時期お山の大将をしても、本当の友人がいない人で、晩年淋しい人生だと思います。
     少しでも自罰主義を取り入れて自分が悪いんだと思えればいいんですが…

     しかし、この5%の人だって私を磨き強くしてくれるのだから、余り拒絶せずケセラセラで行きたいとは思います。
     私ほどの歳になれば、人は老年というらしいが、私はまだ老年とは思っていない。
     しかし私は老獪な「一刻者」と呼ばれたら嬉しい。
     老獪とは年を取って狡く悪賢いという意味であるが、年を取って賢く、また悪賢くないなんて深さも幅も足りません。
     生きている一刻一刻を必死に生きれば、人より奥深い経験や巾広い知識を融合させ、何かに対処する場に老獪な奥の手を創造できる。
     こうした「一刻者」に到達する道筋こそが面白い人生であろう。
     多様な人々を受け入れ、感謝の念とともに、今年も前進します。
     よろしくお願いします。

    理事長 井上健雄

  • 日本の二月を楽しむ

    久方の 天の香具山 この夕べ
        霞たなびく 春立つらしも    柿本人麻呂

     もう少しすると「春立ち」が見えますよ。
     春が立つと、麦も稚芽(わかめ)を出して、茶色の畑を緑に変えてくれます。
     但し、まだ北風が強く温度も低いので、もう少しガマンしなさいよと「麦踏み」をするのです。
     今は運動靴が多いのですが、本当は地下足袋がい~んだ。
     一歩また一歩とゆっくり麦の根元を踏みしめてあげましょう。
     このことで、麦の穂の出方を均一にし、生長にもいいんですよ。

     春立ちを眺め、麦踏みをしていると、もう梅の便りです。

    よそにのみ あはれとぞ見し 梅の花
          あかぬいろかは 折りてなりけり    素性法師(そせいほうし)

     なかなか浪漫的でいいですね。
     こうした歌を貰う女性の艶やかさ、美しさも目に浮かぶようです。
     そして野山に出かけると

    小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
    緑なす繁縷(はこべ)は萌えず 若草も藉(し)くに由なし
    しろがねの衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る
    あたたかき光はあれど 野に満つる香(かをり)も知らず …
                        千曲川旅情の歌 島崎藤村

     芹(せり) なずな 御形 はこべら 仏の座 すず菜 すずしろ これぞ七草。
     これらが野山に里に緑を出しはじめると、今度は「耳」が淋しがりはじめます。
     そこで…

    うぐいすや 梅踏みこぼす 糊だらい    与謝蕪村

     見る情報を満喫すると、香りを求め、そして鶯の鳴き声を求める。
     鶯の鳴き声から、この景色が森とした静寂まで表現しているって、いいですね。

     四つの歌で早春を味わいましたが、日本って本当いいですね。
     和歌や詩や俳句で二月一杯に楽しんでみました。
     年の始めぐらい、優雅と暮らすものでしょう。
     一度、歌会でもしましょうか!

  • 初春お祝い申しあげます【1月】

    初春(地の春 人の春 万物の春)お祝い申しあげます

    今年もパッションに溢れ、クリエイティブに精進致します。
    人は、増え続ける過去と、減り続ける未来を、前にしても、明日こそ、来年こそと望みます。
    わが団体は、今こそのいまに挑戦し続けます。
    こんな心境も芽生えています。

    生年百二十三に満たざるに
    常に千歳の憂いを懐く
      (略)
    楽を為すは当に時に及ぶべし
    何ぞ能く来茲を待たん
            -漢代古詩-(一部改変)

    イノシシHP用

    わが団体のクリード;
     一、能く未来に挑戦し、環境成果を納め
     二、今日の生を楽しみ、僥倖の日々を過ごす

    よく働き、よく遊べ です。
    今年も皆さまのご励声とご笑貌に包まれる一年でありたいと祈念致しております。
    ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。

    理事長  井上 健雄