カテゴリー: 2019年

  • リーダーに必要なもの【11月】

    今の世は、グローバル化、少子高齢化、IoT、AI等々、社会や企業の成り立ちの要因が根本的に変わってきています。嘗て企業や団体にアドバンテージを与えていたものが、逆に企業を倒産の淵にさえ陥らせるリスクになっています。その一番は人なんです。例えば、自分は経験もありスキルがあると思っているとそれは時代に合わないお荷物になっていることもあります。こうした状況に対処するのがリーダーの役目であります。しかも時々に下すリーダーの意思決定は、業績にどういう影響を及ぼすかが分からない中で判断をせねばなりません。

    優れたリーダーは、正しいタイミングで、正しい意思決定ができる人です。

    こうした状況下における、リーダーの指針として、再注目を集めているのが「貞観政要」です。

    太宗、て侍臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為せば、以て衣冠を正す可し。

    古を以て鏡と為せば、以て興替を知る可し。

    人を以て鏡と為せば、以て得失を明かにす可し。

    朕常に此の三鏡を保ち、以て己が過ちを防ぐ    (巻第二任賢第三 第三章)

    太宗が述べたリーダーの三鏡をもう少し現代風に紹介しましょう。

    ーの「銅の鏡」です。

    自分の衣服、髪、顔の等を物理的にチェックして、乱れているものを直すということ。

    単に乱れていることは、すぐ分かる訳ですが、そのオケージョンにおけるドレスコードはどうだとか...○○コードを満たしていても、今度は、センス等について、ちょっと鏡を見れば、治まるものでもありません。センスの悪い子が30万円持ってセレクトショップに入って出てきたら...それは心配です。

    第二の「歴史の鏡」となればもっと難しい。

    過去に照らして、未来に対応するものであるから。興亡を学び未来に備える鏡とすることは至難である。

    オットー・フォン・ビスマルクは、『愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ』と言っている。

    愚者とは能力が低い人ではありません。正しい判断ができない人が、愚か者な人で、経験から学びとる人も、賢者です。しかし、歴史から学んでいても正しい判断に至らなければ、愚者になるということです。歴史から学ぶということは、欠敗の確率を減らすことであり、成功を約束するものではありません。

    三つ目の鏡。これが「諫議大夫」です。

    耳の痛いことを進言する人を持ちなさいということです。あなたが会社のトップだとすると、あなたを諌める人は、社外取締役がであったり監査役と言ったところです。もしくは会社を余り知らない若手社員も候補かも知れません。

    しかし、人は弱いものでおべっかばかりを側近で固めてしまうものです。自分に優しいこと言ってくれる人ばかりで固めると、自分を含めグループが組織の負債となってしまいます。5人の側近がいるなら、2人は反対勢力であるか自分を嫌っている人を登用すべきなんです。

     

    大胆にまとめると、自分の器には限界がある。自分の利己心を追い出して、すなおに銅鏡、歴史の鏡、諫議大夫の意見、を自分の器に入れこむことです。こうしたセンスと勇気を持つ人こそが、リーダーと言えます。

    理事長 井上健雄

  • 私の生き方(平成の最後にあたり)【4月】

     それなりに年を重ねてくると、「私は、どういう歴史観を持って生きているか」を問うことがふえてくる。
     私が生きている世界は、資本主義で「右肩上がり」史観である。
     例えばルネサンス期は人間賛美の思想にあふれており、美術史だけを覗いてもラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョヴァンニ・ベッリーニ、サンドロ・ボッティチェッリ、ミケランジェロ、ジョルジョーネ、37才で夭折したパルミジャニーノなど綺羅星の如く出て、今日より明日、明日より明後日に夢を抱かせたものである。
     資本主義は、神にすがるのでなく自力成長に目覚めたのです。

     一方で私は、親鸞さんを祖とする浄土真宗の阿弥陀仏の他力本願を信じ往生成仏できるものとしていた。
     この仏教を史観的に考えると人生は死に向かってゆく道であるとする「右肩下がり」史観である。
     仏教は、正法の時代(釈迦の教えが正しく伝わる)から像法の時代(釈迦の教えが劣化して伝わる)そして末法の時代(正しい教えから遠ざかり訳が分からなくなる迷妄の時代)に移ってゆくという考えである。
     現在は末法の時代とされる。
     こう考えると、どうも仏の教徒として、生きることに全賛成する気持ちにはならない。
     こういう風に歴史を俯瞰する見方はあと三つほどあるらしい。

     私の好きな「興亡」史観である。
     地球上の主役は、いろんな事象に応じて変わるとする考えである。
     祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす。
     繁栄することで繁栄の条件を失うという滅びの美学に、感動さえ覚えます。

     四つめの「勢い」史観。
     いわゆる勝ち馬に乗るという考え、日本人に最も多いのかもしれません。
     省エネで賢い生き方だと思いますが、余り与したくありません。

     そして最後に「断絶」史観です。
     大波乱、大革命、大転換、アウシュヴィッツ、広島、長崎…
     もっと逆のぼれば、イエス評価の大転換がありましたね。
     イエスは12人の弟子しかいなくて、1人は裏切り者であった。
     しかしイエスの死後、ローマ帝国によるイエスへの考え方が激変し、今のキリスト教世界が、出現したのである。
     今、全く読めない大断絶が、忍びよってきているのかも知れませんが…
     とは言え、断絶史観は、アウト・オブ・クエッションとしておこう。

     こう書き列ねると、私の歴史観は、「右肩上がり」(期間限定つき2050年位まで)史観の中に「興亡」があるという二史観折衷である。
     こんなんがありかどうか知りませんが、明日を信じて、事業の興隆に力を尽くしていきたいと思います。

    理事長 井上 健雄

  • 1月の終りに…【1月】

     今月も終りに近づいてきました。
     きのう『新年あけましておめでとうございます』と言っていたのに、もう『恵方巻』をどうするかと騒いでいる始末です。
     『あぁ早い』……『それってお年ですよ!』と人は言う。

     しかし年にも効用がある。
     いろいろな出来事や日々の学びにも、余裕ができて、「どんな事柄をも良き発酵に変換する」機能ができてくるのです。
     「歳月は、叡智を作る」です。

     しかしこの叡智は、体力の落ちるにつれて増してくるから困ります。
     叡智も体力もwin-winをと希望しますが、年齢が叡智を生むなら無理な相談となります。
     私は、日々の歩く歩数の基準を1万歩としていますが、その動く時間に本を読み、出掛けても立止り、景色や風に驚き、そしてコーヒーなど、せいぜい7,000歩止りとなります。
     いつもマイナスの3,000歩を抱えることになります。
     歩くことに限らず、いろいろのマイナスを許容(?)する力が、その人の人格となっているのも確かです。

     精神的に辛いこと、厭なこと等のマイナスも「発酵の贈り物」になっているのかも知れません。
     こういう風に、年を重ねマイナスを超えてきたゴールデン世代が増えることは、楽しいことです。
     こうした世代がSNSで情報を発信してくれます。
     そうした智慧を目にできる、ありがたい時代です。
     今の時代に生きていることに感謝すべきです。

     人が紅葉を楽しむのは、花の盛りを終えて、その結果として、見事な紅に染まる姿を自分に重ねているからではないでしょうか。
     サァ!今年も己を染め抜く仕事をしようではありませんか!
     今月もいい仕事ありがとう。

    理事長 井上 健雄